お嬢さまの憂鬱

2001年7月2日
 今日は「お嬢さまとアバズレはそっくりである」という定理を証明してみましょう。
 まず「お嬢さま」ですが、ここうん十年ですっかり世間に定着した語となりました。お嬢さま。なんという漠然とした語でしょうね。旧華族の家の出の人を指すのでしょうか?それにしては、
「ミドリってお嬢さまなんだよね」
「山田くんの奥さんってお嬢さまなんだって」
 などと、あちこちで言われているわけで、そんなに旧華族の人口が多いはずはありません。となると、名高達男と婚約破棄した女性(古っ)は、
「お嬢さまというふれこみだったが、実は父親は接骨医」
 などと、まるで接骨医の家ではお嬢さまではない、かのようにマスコミで言われました。つまり、なんらかのイメージを与える職業である上でお金持ちでないといけないようなのです。なんらかのイメージとはなにか?知性なイメージですね、たぶん。接骨医は十分に知性な職業だと思うのですが、なにせ「イメージ」というのは「本質」とは違うんです。となると、父母が電通や博報堂が操作したような知的な香りがする職業であり、なおかつお金持ちの家の娘がお嬢さまということになります。貧しい人はタダで診察してあげた赤ヒゲ先生のような清貧の医師の娘は、よってお嬢さまからはずれてしまいます。
 お嬢さまは、知的な父母のもとで厳しくしつけられます。言葉使い、立ち振る舞いなど、並大抵の厳しさではないでしょう。そしてそうしたしつけは裕福な暮らしぶりのなかで洗練されてゆきますが、この状態を極めると、結果、知的ヒューマン・ビーイングなら当然、「自我にめざめ」て「反抗する」という二点の行動に至ります。
「こんなの本当のワタシじゃないわ。ワタシの生活は虚栄の生活よ」 
 というやつです。「お嬢さまの憂鬱」と一般には呼ばれます。でも「お嬢さまの憂鬱」をおこすお嬢さまは、お嬢さまの中でもとりわけお嬢さまである人が多い。頭のできがよくなければ自我に目覚められないし、父母の金の所有額が並外れて多くなければ憂鬱になってる暇がありませんから。
 そこで反抗したお嬢さまは、とりあえず留学したりなんかします。外国で異文化に接触して「愛はフリーだ」です。前衛芸術的な絵を描いたりする事もあるでしょう。コンクリートの壁に「汚れちまった悲しみに」とかペンキで塗りたくって「芸術は爆発だ」です。ロックバンドを結成したりすることもあるかもしれません。ピアノをぶっ叩いて壊して「音楽はロックだ」です。彼女にとって、自我に目覚めるまでに自分が受けたしつけや育った環境とは正反対の事をしたいわけです。
 彼女は外見も、その反抗する行動にふさわしいものに変えてしまうでしょう。 
「ったく、ざけんなよな。あー、かったるいぜ」
 というような言葉使いをし、服装もそれにふさわしいファッションになります。
 となりますと、「アバズレ」の定義ですが、言うまでもなく、お嬢さまの変身後がそのままアバズレになりますね。 
 こういうわけで「お嬢さまのなかのお嬢さま」と「初めからアバズレの人」は、一見、そっくりなのです。
 「僕ってお嬢さまタイプに弱いんだよねー」 
 などと言う男の人は、絶対というほど言葉の用法が間違っています。
「僕って、平均よりはいくぶんか収入の多いくらいの家で、あんまり厳しくしつけられなかったために自我に目覚めていない、スケールの小さいお嬢さんに弱いんだよねー」
 と正確に言うべきですね。

   注:アタシのHNは「おじょー」ですが、こ
      の文章とは一切関係ございません。

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